今回は、数ある漫画のジャンルのなかで比較的最近確立したであろう
「ヒーリングコミック」を特集してみようと思います。
ヒーリングコミックとは?
一応、ここで紹介する「ヒーリングコミック」というジャンルを定義付けしておきます。
多分、まだ定義がはっきりしていない言葉だと思うので、ここで解説する定義が
公式定義ではないのであしからず。
ヒーリングコミックというのは、作品を通じて読者に精神的癒しをもたらす漫画作品です。
物語の筋よりも、作品の世界観・キャラクター・特定の行為などが強調して描かれるのが
特徴で、物語性のまったく無い作品もあります。
「読者に精神的癒しをもたらす」
「物語性はあまり重視しない」
というのがキーワードです。
一応、ここで言っている「物語性」という部分について解説しておきます。
普通、物語には「起」「承」「転」「結」があり、
作品冒頭で起こった事柄が(起)、どのように発展して(承)、
どのような盛り上がりを見せ(転)、どのような結末を迎えるか(結)
という構成をもって読者の興味を引き、その展開の推移の過程で
読者に面白さを感じてもらうのが基本的な物語のつくり方です。
たとえば、バトル漫画では、どのような敵があらわれて、主人公たちとどのような戦いを
繰り広げて、どのように決着が着くか(大抵は主人公側の勝利ですが)が
読者の関心点となりますし、恋愛漫画では主人公とヒロイン(達)が
どのような恋愛イベントを経てどのような人間関係の決着を迎えるかが読者の興味を引きます。
こういった、話の展開の仕方、持って行き方が「物語性」ということになります。
しかし、ヒーリングコミックにはその「物語性」がほとんどありません。
言ってみれば、話の推移が平坦なのです。淡々と進む感じ。
「それの一体どこがおもしろいのか」と思うかもしれませんが、
そこでもう一つのキーワード「読者に精神的癒しをもたらす」という部分が効いてきます。
ヒーリングコミックは、物語性ではなく、別の部分で読者に関心を持ってもらう
ようにつくられています。
その「別の部分」が作品によって違っており、そこがそのヒーリングコミック作品の
最大のポイントとなっています。
以下に、3作品ほどヒーリングコミック(であろうとこのサイトが勝手にあてはめた)
を紹介してみようと思います。
上記解説を踏まえて、どの部分に癒しポイントがあるか確認していきましょう。
ARIA (AQUA)
まずは、「未来形ヒーリングコミック」というキャッチコピーでおなじみの
『ARIA』を紹介します。
(最初は『AQUA』というタイトルで連載されていましたが、
後に出版社を移籍したときに『ARIA』というタイトルに変更されました)
「ヒーリングコミック」という言葉を使って作品が紹介されているのは、
多分この『ARIA』だけだと思いますので、言ってみればヒーリングコミックの
代表というべき作品ではないでしょうか。
で、どんな作品なのかというと…
西暦2300年代の未来、テラフォーミングによって水の惑星となった火星、
惑星AQUA(アクア)が物語の舞台。
主人公・水無灯里(みずなしあかり)は、AQUAの水上都市・ネオ・ヴェネツィアにて
ゴンドラ漕ぎによる観光案内を担う「水先案内人(ウンディーネ)」となるために
地球(マンホーム)から、AQUAへとやってきたのでした。
ストーリーだけぱっと聞くと、SF作品のような設定で、さぞ壮大な物語が展開される
かと思いきや、この作品の主題は全く別のところにあります。
この作品では、惑星AQUAで灯里が体験する日常生活のなかのちょっとした楽しみや
四季おりおりの出来ごと、美しい景色などが非常に丁寧に描かれます。
ときに、いくつものコマを使って水たまりを歩く灯里の様々なリアクションが描かれ、
ときに、2ページの見開きをつかってAQUAの美しい風景が描かれます。
これら丁寧な描写により、あたかも読者にその場にいるかのような臨場感を与えます。
惑星AQUAのゆったりとした生活は、心の平穏を望む人にとっては
「癒し」そのものです。
それを追体験させてくれるような描写があるからこそ、『ARIA』は
読者に「癒し」をもたらしてくれるのです。
物語を追いかけるのにページを費やしたのでは、とてもじゃないですが
ここまで描写を丁寧には描けません。
あえて物語性を最小限にとどめ、風景や人物のリアクションを丁寧に描くことに
力を入れているのです。
『ARIA』は、あわただしい生活にふと疲れたときに、
なんとなく読み返してしまうような作品です。
よつばと!
ちょっとかわった5歳の女の子・「よつば」が主人公の作品です。
メインストーリーらしきものはほとんどありません。
内容としては、よつばの繰りひろげる「子どもならでは」の言動や、
よつばが体験する「初めてのこと」から得る感動などを、
よつばと一緒になって読者も楽しむという内容となります。
やはり物語性はあまりなく、基本的によつばが遊んでるだけで
一話が終わったりします。
これは『ARIA』の項で説明した通り、物語の進行よりも別の描写に
ページをかけているためです。
『ARIA』が、どちらかというと風景の描写に力を入れているのに対して、
『よつばと!』では人物(主によつば)の行動が丁寧に描写されます。
「なんでも楽しめる」よつばの行動を、読者は周りの大人キャラの目を借りて
見ることになります。
ここから思うことは読者によりますが、ある人は忘れかけていた子ども心を
思い起こすかもしれませんし、ある人は子どもの発想力に舌を巻くかもしれません。
はたまた、子ども好きの人はその無邪気な言動を見ているだけで楽しめるかもしれません。
そして、それらの想起が読者にとっての「癒し」につながるのです。
『ARIA』が、水の惑星AQUAという世界観を生かして、現実を超えた美しい
風景を魅せているのに対して、
『よつばと!』では、現実によくある風景を「よつば」の目を通して
見ることによって世界を魅力的に魅せているという点にも注目です。
孤独のグルメ
主人公・井之頭五郎は、食べる。
それも、よくある街角の定食屋やラーメン屋で、ひたすら食べる。
時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、彼はつかの間
自分勝手になり、「自由」になる。
孤独のグルメ―。それは、誰にも邪魔されず、気を使わずものを
食べるという孤高の行為だ。そして、この行為こそが現代人に平等
に与えられた、最高の「癒し」といえるのである。
文庫版背表紙のこの解説文がすべてを物語っていますが、主人公がひたすら
ものを食べてるだけの作品です。
やはり、物語性はほとんどありません。
それも、主人公・井之頭五郎が食べるのは創意と工夫が凝らされた
特別な料理というわけではなく、ごく一般的な定食屋で食べられる
B級グルメの類です。
美味しい!…んですけど、ミスター味っ子的に派手なリアクションが
できるほど特別に美味い料理が出てくるわけでもなく、逆にそれほど
美味しくない料理が取り上げられることもあります。
果ては、コンビニで買ってきた惣菜やらおでんやらコンビーフやらを
机にひろげて食べるだけの話もあります。
つまり、この作品は料理が主役のグルメ漫画ではないということです。
この作品の一話一話は、ほとんど五郎ちゃんの食事シーンなわけですが、
面白いのは飯を食いながらの五郎ちゃんの独白です。
「ぶた肉ととん汁でぶたがかぶってしまった」
「岩のりは余分だったな…残すしかないか」
「まるで俺の身体は製鉄所。胃はその溶鉱炉のようだ」
「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」
「しまった…そうか、じゃあさざえの壺焼きでさざえがダブってしまった」
「このおでんの汁があれば味噌汁はいらなかったな、失敗した」
「ああ…白い飯。ここに白い飯とお新香のひとつでもあれば…」
見事なまでに目の前の食べ物のことのみをひたすら考えながら食べてるわけですが、
余計な物を注文しすぎて失敗しちゃったりしてるところも含めて、
この独白の部分が『孤独のグルメ』のポイントとなります。
とにかく、五郎ちゃんは独りで食事をします。
誰かと話すわけではなく、ひたすらに自問自答しながら飯を食うわけです。
別にそれはネガティブなことではなく、その間五郎ちゃんはつかの間
社会のしがらみから切り離され、「自由」になっているのです。
上の場面の川崎の焼き肉の話などはまさにそうで、独りで焼き肉を食べているうちに
テンション上がってきた五郎ちゃんがどんどん自由気ままになっていく様が
気持ち良いです。
「うおォン、人間火力発電所だ!」って、どんだけノリノリなんですか。
今の世の中は自由にならないことが多すぎる。
そんな世の中だからこそ、せめて食事をしているときくらいはしがらみから解放されて
自由に、豊かに過ごしたいものです。
五郎ちゃんの自由な食べっぷりは、私たちに言いようのない癒しのカタルシスを
もたらしてくれるのです。
ヒーリングコミックと物語
冒頭でヒーリングコミックには物語性が無いと言いましたが、
表向きの物語性がなくても、ヒーリングコミックは充分にドラマチックです。
それは、上で触れてきた3作品をみても明らかだと思います。
美しい風景や小さな楽しい出来事をピックアップした作品も、
無邪気な子どものしぐさを追及した作品も、
独りで自問自答しながら食事をするだけの作品も、
それらの場面が読者に何かを想起させる限りは、
そこに物語が生まれているのです。
今回はちょっと変わった癒しの物語のおはなしでした。
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